前田利家 大大名への道 泉秀樹の歴史を歩く

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  • Опубликовано: 14 янв 2025

Комментарии • 6

  • @ストップーm2
    @ストップーm2 День назад +1

    好きな武将ですわ、トップを狙わない所が好き、人それぞれ生き方有るからね

  • @なり-v8l
    @なり-v8l День назад

    会社、クビになったのに現場に現れて勝手に仕事してた話、好きw

  • @jr.9980
    @jr.9980 3 дня назад +3

    家康の犬? 信長存命時は信長の家臣で、秀吉では家康と同じ五大老で肩を並ぶ重臣で、秀吉死後は遺児秀頼の後見人であり対家康の対抗筆頭のはず。
    秀吉死後の一年後の1599年に亡くなって居るので家康の犬になる時期がないのでは?

  • @鈴木幸男-u1u
    @鈴木幸男-u1u 2 дня назад

    元々利家と秀吉🟰藤吉郎とは、織田家に仕えていた当初同じ長屋の住人同士の仲。
    利家はこの時まだ足軽、藤吉郎は草履取りだった筈。やがて利家は少しずつ力を持つようになり、この賤ケ岳の戦いの際は柴田勝家側の与力という形で戦っていました。
    賤ヶ岳7本槍というのがありますが、これは秀吉の子飼いの武将が勇猛に戦った戰でした。加藤清正、福島正則など、秀吉が長屋住まいの頃から面倒見て来た武将達ですね。
    利家が秀吉軍に加担したというより、戦線離脱をしたというのが正解ではないでしょうか。利家と藤吉郎とはもう家族ぐるみの付き合いだったので、利家の心中も複雑だった筈です。

  • @嘉和山本
    @嘉和山本 День назад

    傾奇者 と言えば前田慶次よ!

  • @nekosakura393939
    @nekosakura393939 День назад +1

    個人的に好きになれない武将・大名の筆頭ですね。